二〇一四年師走廿日

日本軍が進めていた原子爆弾開発 --- 二号研究、F研究

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第二次世界大戦において、
大日本帝國は広島、長崎に原爆を投下されてしまいました… 


その事について、よく勘違いされていることがあると思います。

「日本は原爆の存在を"まったく"知らなかった」
「日本では原爆の研究なんか”まったく”してなかった」
と勘違いしている人が多いんじゃないでしょうか?

実際僕も昔はそうでした…がこれは誤りです。

確かに大衆のほとんどは、そんな兵器の存在は知らなかったでしょう。

しかし軍部では原子爆弾の存在を認知しており、
全国の研究者を集めての研究を進めていました。

日本の陸軍と海軍の仲が悪いのは有名な話ですが、
今回の件でも非常にその事が大きく関わってきます。

どういうことかというと、
日本軍での原子爆弾の開発は、陸軍と海軍で、別々に行っていたということです。

陸軍での研究を”二号研究”といい、海軍での研究を”F研究”といいます

二号研究


二号研究という名前は
研究の中心であった仁科博士の頭文字が由来です。

マンハッタン計画の翌年
1943年1月に開始されました。

この計画では熱拡散法という方法で原爆の開発に不可欠な
ウランの濃縮を試みていました。 

F研究

”F”というのは核分裂を意味する”Fission”が由来です。
こちらは遠心分離法と呼ばれる方法で、 
ウランを濃縮することを試みていました。

なお、この研究には戦後、ノーベル賞を受賞した
湯川秀樹氏も参加していたそうです。




双方の研究とも、天然ウランの確保ができず、、
技術力も圧倒的に足りなかったため、開発には至りませんでした。

何しろ技術大国のドイツですら、開発できなかったものですからね…
アメリカも、多数の科学者を動員し、現在の額で230億ドルもの金額を
費やし、ようやく完成させました。

しかし、もしも完成していたら…

日本は伊四〇〇型潜水艦(こちらを参照)のような、
アメリカ本土を攻撃するための兵器、技術を開発していました。

もしアメリカ本土へ原子爆弾を投下することができたら、日本が有利に講和を結べるどころか、
超大国であるアメリカを降伏させることができたかもしれませんね。 


まぁ結局…もしもの話ですがね…


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vaccine131 at 23:03コメント(0)軍事 

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